日本刺繍とは

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日本刺繍4曲屏風


日本刺繍木枠


日本刺繍さしているところ
 
日本刺繍栗鼠と葡萄

今の時代に生き残るため、伝統は何を求められるか

「日本刺繍、何だそれ?」 この刺繍の名を聞いた時に多くの人が思う言葉はこれでしょう。全くもっともな感想です。

しかし刺繍という言葉は割とポピュラーなはずです。今、小学校の授業では幾つかのステッチを男女問わず教えています。工房の2人の男子小学生は幼稚園の頃、クロスステッチを駆使してカブトムシを作って帰ってきました。昔はこのような生活の技術的なことは学ぶ機会が少なかったように思いますから、世の中変化しつつ進んでいるのだと気が付きます。

ところで、刺繍には色んな種類があるのをご存知でしょうか。上記の刺繍もそうですが、一般的にイメージされやすい刺繍とは、フランス刺繍のことを指します。ステッチの種類も膨大で、最も見る機会が多い刺繍と言えます。

いえ、訂正しましょう。現代において、最も頻繁に目にするのは機械刺繍です。あなたのジャンパーにも機械刺繍のワッペンが付いているかもしれません。しかし手刺繍の分野では、フランス刺繍に軍配が上がります。その他に、ハンガリー、ノルウェー、スウェーデン、イタリアのプントアンティーコ(フランス刺繍で教わることもあります)、アジアにもたくさんあります。モロッコのフェズ、タイのヤオ族、インドはミラーとカシミールが有名ですしアジア雑貨で手に入れている方も多いかも。

一部を除いて、大体が綿を材料にしています。変わったところではフランスのオートクチュール刺繍リュネヴィルはスパンコールやビーズを多用します。インドのミラー刺繍はその名の通り鏡を埋め込みます。ですが、材料として最も扱いやすい綿は常に堂々たる花形です。日本でも、こぎん刺しなどの刺し子は綿地に綿糸を使います。刺し子は元々補強の意味があり、合理的だと言えます。

ここでようやく、絹地に絹糸の刺繍の話をしましょう。まずは中国刺繍。これも地方により細分化されますが、絹地に絹糸で施されるものもあります。中国で刺繍といえば一番に名が上がるかもしれないスワトウですが、これは18世紀にヨーロッパから宣教師が持ち込んだ技術と元からの文化が融合した刺繍です。綿のものと絹のもの、どちらもあります。インドでも絹製品の刺繍がありますが、絹の刺繍として浮かびやすいのは、中国蘇州の両面刺繍ではないでしょうか。硬めの光沢のある生地に鳳凰などの刺繍が色鮮やかにされているようなイメージは、比較的共有されているのではと思います。

そして日本刺繍。京都の京縫、関東の江戸刺繍、金沢の加賀刺繍と3分されていますが、友禅の冠になる地名でもあり、要するに着物文化と色濃く結びついた刺繍とわかるでしょう。というより、日本には綿という植物が室町時代までなかったのです。これは驚きですね。16世紀以降、徐々に綿は普及していきます。ではそれまでは? 安価な麻、高価な絹の2本立てでした。考えれば産業革命は綿の大量生産時代でしたがこれが近代の夜明けであり、明治は近世と近代の変換地点です。この綿の機械化により、絹も機械化され、絹地の着物が庶民にも愛用される時代がやってきます。

お気づきでしょうか。日本刺繍は、既に幾つかの変遷を経ています。 最初はおそらく大陸から伝播したのでしょう。奈良時代には時に宗教的要素と結びつきながら、そこらを歩く庶民が手軽に気軽に作ってみる、とはちょっと違う、高級で意味をもたせるものに施されるもの、として扱われます。そこから長い間、絹は一貫して高級品です。綿の普及と産業革命を経てようやく、多くの人が気軽に絹の着物を楽しめるようになりました。そして次のフェーズです。ここで少し、今80代以上の女性のワードローブを思い出してみましょう。刺繍の入った絹の着物に心当たりはあられませんか。それはもしかして、あなたの曾祖母や祖母の方々が自分で刺繍されたものではありませんか。

そうなのです。実は大正に入ると、普通の女性がおしゃれのためにご自身で刺繍をされることが増えました。それは少しの手慰みを徐々に超えていきます。1950年台になるとお稽古ごとはカルチャースクールと姿を変え、染色、押絵、刺繍などがより広く頒布されることになりました。家電が爆発的に増え、どんどん豊かになった時代。マイカーとマイホームに心躍らせた世代は、家回りや衣装を自分の手で魅力的に飾り立てていきました。

ところが、次の社会がやってきます。消費時代は終わり、ポストモダンに。既にポストモダンも変容してトランスモダンという言葉も見かけます。日本では断捨離が大流行。この十年で、一体どれだけの枚数の絹が焼却炉に消え、元素に戻っていったでしょうか。昨今陰りが見えるグローバリゼーションですが、誰もが小さな視界ではなく世界に開く大きな視界を持つようになりました。つまりシンプルで手間がかからず、どこに行っても価値が変わらず、生産も供給も安定的なものが好まれる時代です。時代が悪いのではありません。我々は常にそういうものを求めています。洗うのに縫い目を一旦ほどいて更に細心の注意を払って手作業をしなければならない着物は、家庭で洗濯機に放り込める衣料に席巻されてしまうのが当然の流れなのです。多大な労力を布一枚に割く時代ではなく、浮いた時間で個人の自由を謳歌する時代になったのです。着物愛好者を始め前時代的と称されるものを大事にする人は、個人の自由をそれらに当ててくださっているという捉え方になるでしょう。

誰もが感じていることでしょうが、投機や資産価値が認められない限り、「伝統的」というくくりのものが生き抜くことは相当困難です。こうしている瞬間に、どこかで何かが絶えていたとしても驚くことではありません。しかし、それは時代の変遷の常だから仕方ない、と断言していいのかは、わかりません。価値観のぶつかり合いで石像が破壊され、価値観の変遷により偉人の像が破壊されるのと、伝統的と言うだけで保護するのかどうかという議論は同じ要素を多分に持っているでしょう。常に時が流れ常に変遷の最中である、という観点からは、「どちらが正しかったです」といい切れるのは、人類最後の人が死ぬ間際に総括をしたときのみです。ただ、我々が主張できる正論は、「多様性」「歴史的」の2点です。

今の様式に合うように伝統的なものも姿を変えていないから、淘汰されるのは当然だ、という考え方もあります。しかし、そうそう姿を変えないから伝統的なのです。日本の蚕からできる絹とブラジルの蚕からできる絹は、光沢も手触りも全く違います。こういうことを積み重ね、より扱いやすいという理由でマイナーチェンジをしていくと、結局綿地に綿糸で刺繍をしても柄が伝統模様だから日本刺繍だと主張することに行き着きます。実際は新しい刺繍が生まれたと言えるでしょう。では、伝統をなるだけ形を保ったままに残すということは、実際的に可能なのか。不要なものとして逼迫し続け消えていくだけなのか。当工房は、日本刺繍を扱っていますから、当然、「残す」という立場です。どうやって?

答えは簡単。より多くの方に、実際に持ってみていただくということです。手打ちの針(高齢化により職人さんは消えていっています)で、日本の蚕を使って、日本で染め、織られた生地や縒られた糸を使い、独特の枠で右と左両方の手を使って刺繍された刺繍。いつまでこういったものを皆様にご覧に入れることが可能でしょうか。恵まれた状況とは言えませんが、一つでも実際に見て触れて頂く機会を多く皆様にご提供できるよう、当工房は試行錯誤しています。

昔はダサく見えた伝統的なお多福や福助が、自分の人生が積み重なるに連れて大事なものに見える。ある日宝船が本当に縁起の良いものだと気付くようになった。人生を進むに連れて起こる変化は誰にでもあることです。ある日玄関で迎えてくれた屏風に心洗われた。小さな帯留めがお出かけをする自分の勇気になった。幾つもの分岐と変化がある日々の流れの中で、その時にそのものがないとまずは選択肢が成り立ちません。

絹地と絹糸の流れる光沢が、あなたの心に響く日がかならずあると、私達は信じています。我々はそのために、新しく「レンタル」(※現状インテリアのみ)という選択肢もご用意してみました。まずはお試しください。ITによって世界の流れが早くなった今だからこそ、ほんの1センチ進むために1日かかるようなゆったりした流れと贅沢さを、ぜひご体験ください。

アマビエ

コロナ収束の願いを込めたアマビエ様

 
鶏名刺入れ

しっぽも強そう、同じく縁起の良さそうな鶏、桐の名刺入れ

 
桜と下がり藤油箪

三ツ割藤崩しの紋は金コマ。本金のコマ糸。琴の油箪

 
名古屋帯

名古屋帯全通

 
藤付下げ

藤 着物

 
藤着物アップ

藤 着物 一部拡大

 
ベストかわせみ

ベスト ヤマセミ

 
組紐ツリー

小額 組紐文様のツリー サガラが面白い